ベトナム未公開株ファンド詐欺とベトナム証券市場 |
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2007年12月28日(Fri)
ベトナム未公開株ファンド詐欺とベトナム証券市場
ベトナム未公開株ファンド詐欺とベトナム証券市場
●ベトナム証券市場は世界第2位の収益性 4月17日付『Fortune』は、「今年、世界トップのジンバブエに次いで利益を見込めるのがベトナム証券市場」とする記事を掲載した。 今年最初の取引日、1月3日のVN-Index(ホーチミン市証券取引所の株価指数)は305.28ポイントだったが、4月14日には555.15ポイント、約3カ月で80%以上上昇した。なかには同期間に100%以上の上げ幅を記録した銘柄もある。(なおVN-Indexは4月24日、600ポイントを超え、過去最高となる615.14ポイントを記録した)。 市場の急伸に警鐘を鳴らす声もあるが、『Fortune』は▽高度経済成長、▽外国人投資家の株式保有規制緩和、▽大企業の株式化・上場準備などの結果だとして、危惧する必要はないと指摘する。だが同誌は、主婦や定年退職者、地方出身者などが賭博さながらに株式投資をしている事実には触れていない。投資ファンドにとっては証券市場での損得などごく日常のことだ。だがVN-Indexが2003年水準まで下がれば、個人投資家のほとんどが破産も同然の状況に追い込まれる。市場の健全性は、投資ファンドによる分析以外の要素からも判断されなければならない。 VN-Indexは2001年6月25日に571.04ポイントを記録して以降続落、2003年4月1日には139.64ポイントにまで下落した。最初期の上昇は市場開設に付随する現象に過ぎないが、現在のそれは需要過多によるもので、ほとんどの投資家が上場企業の経営状況に関心を払っていないことが不安視される。 投資家は外国投資家(プロ)と国内投資家(アマ)に大別できる。ベトナムが国債7億5,000万ドル(年利7.125%)の発行を成功させて以降、各国の投資家がベトナムを注視するようになったが、彼らは国債の利率を目安にして、それより利益率が高まるのを待っている。一方国内の個人投資家が株式に投資する理由は単純で、不動産市場は取引停滞、金価格は高騰するなど投資先が少ないからだ。だが現実には資金力に乏しい国内投資家は、株価上昇に追いつこうと株式を担保に株を購入している。この事態に国家証券委員会は先ごろ警告を発したばかりだ。 市場の過熱・急冷による混乱を避けるため、国は保有する上場企業の株式を売却すべきだ。株式を大量売却すれば株価は下がる。だが政府は株価の下落を恐れて売却に二の足を踏んでいる場合ではないのだ。また企業にとっては株式化を行い、上場で資金調達するには最適の時期なのである。 ●ベトナム:タイ企業続々進出、望まれる証券取引協力 タイ政府は現在、国内企業の東南アジア地域、特にベトナムへの投資を奨励している。現在ベトナムで活動するタイ企業は67社、いずれも業績は好調だ。 ベトナム進出タイ企業をリードするのは石油、製紙、包装材、セメント、建設資材等の分野でタイ最大手のSiam Cement Group(SCG)だ。今後3年間で30億ドルの投資を予定、今年第3四半期には2億2,000万ドルを投じ、Binh Duong省My Phuoc 3工業団地で年間生産能力22万トン、東南アジア最大の包装材工場(Kraft Vina)に着工する。 「Chang Beer」で知られる飲料メーカーThai Beverage Plcもベトナムでの工場設立を検討、また昨年末にはMelia Hanoiホテルに資本参加した。バンコクでショッピングセンターを展開するCentral Pattana(CPN)もハノイ市、ホーチミン市での合弁会社設立を計画している。CPN初の海外進出先となるベトナムでは、バンコクで多く見られるホテル・ショッピングセンター複合型施設を建設する。CPNの国際経営開発部J.B.Blaney Davidson副部長は、AFP通信に対し「ベトナムの潜在力は極めて大きく、グループ全体として最も注目している」と語った。 先頃タイ証券取引所(SET)は、ベトナムで活動するタイ企業がホーチミン市証券取引所(STC)でも上場できるシステム作りを目指し、ベトナム側と協議した。東南アジア初の試みで、将来的なタイ投資家のSTCでの投資が期待される。SETのPatareeya Benjapolchai委員長は『Bangkok Post』紙に対し、「ベトナムで活動するタイ企業の多くが資本拡大、通貨リスク回避のためSTCでの上場を望んでいる」と話している。 タイ商工会議所によると、現在タイでは中小企業の海外進出が活発化しつつあり、購買力が日増しに上昇している人口8,000万人を擁すベトナムは、非常に魅力的という。 ●ベトナム:投資に関する罰金を規定 政府が公布した、計画投資分野での行政違反に関する政令53/2007/ND-CP号によると投資家は、投資に関する行政違反行為について罰金を科される可能性があり、同時にその違反を法律に沿い回復する義務を負う。ケースによっては事業ライセンスが剥奪されることもある。 政令で規定されている罰金は、▽投資について報告しない、規定通りの投資活動報告を行わない:10万〜20万ドン(約6.3〜13ドル)、▽不正確・虚偽の投資登録、規定より進度が遅い:100万〜300万ドン(約63〜188ドル)、▽投資の変更登録(対象のもの)をしない、投資証明書内容を正しく実行しない、停止していた事業の再開時に、投資管理機関に文書で報告しない:500万〜700万ドン(約313〜438ドル)、▽外国直接投資による企業の株式購入・合併・買収、外国投資プロジェクトの投資形態変更、外国投資家の資本譲渡、投資登録対象プロジェクトの譲渡等に関する規定違反、および投資停止・進行延期などの際に国家機関に文書で報告しない。投資証明書の没収を受けた後および証明書記載期限を超過した状態での事業進行、事業を中止したものの報告しない、事業の清算手続きを規定通り行わない:1,000万〜1,500万ドン(約625〜938ドル)、▽経済社会発展計画に関する違反、国家資本を使用する投資に関する違反:7,000万ドン(約4,375ドル)。 処分の時効は、違反が行われた日より1年間(建設に関する違反行為は2年間)。これを過ぎた場合、投資家は行政処分は免れるものの、その回復措置を採らねばならない。なお違反者が意図的に処分を逃れようとした場合は、ケースに応じ時効期限が算出される。 ●「安定」魅力のベトナム、万全のリスク対策を 第2回ベトナム投資フォーラムがハノイで3月19日、国内外の金融機関から1,000人が出席して開催された。 「投資機会を探るべく顧客からベトナム視察を求められた」と話す某銀行代表は今回が初訪越、同氏は、昨年のベトナム証券市場の成長は非常に興味深く、証券投資家にとってまたとないチャンスであるとし、タイのような突然の体制変更を外国人投資家は嫌っており、「『安定』こそがベトナム投資に目を向ける理由」と話した。 HSBCのCEO・Michael Geoghegan氏は、これまでの国営企業株式会社化の実績を評価、新たな投資家を誘致すべく計画をさらに推し進めるべきと話した。台湾の証券会社KGIは、EVNとVinashinの債券をおよそ1億ドル購入している。 KGI香港オフィスAndrew Wong代表は、莫大な資金が流れ込んでいる香港では、コントロール不能状態になることに人々が不安を持っていることを踏まえ、「ベトナムは中国の市場開放、シンガポールの発展、タイの過ちを深く研究すべき」と話した。またWong氏は、KGIは長期的な投資を行うとした上で、「ベトナム政府が規制強化に乗り出すとの噂があるが、それは市場安定のための措置と評価している」と述べた。 「古参組」からは慎重論もでた。投資ファンドDragon CapitalのJohn Shrimpton氏はベトナム証券市場の発展の特異性を指摘、Brooks Bower AsiaのErnest Bower氏は、証券取引過熱を懸念、「楽観的過ぎる。(証券価格が)上がり続けると信じている投資家が多く、証券情報の増加、人々の知識向上を望む」と述べた。 またVu Van Ninh財務大臣は、証券市場の発展に向け危機対策を講じることが特に重要とし、金融政策改善が課題と話した。 ●日本企業のベトナム投資状況 日本企業のベトナム投資の現状について、日本貿易振興機構(JETRO)ホーチミン事務所のNakano Takashi所長に話を聞いた。 Q: JETROハノイ事務所の最近の調査によると、ベトナムで活動している日系企業の66.1%が増資を計画しています。これは、一時的に停滞していた日本のベトナム投資が回復傾向にあるということでしょうか。 A: 今から数年前、インフラ投資や諸経費および税金による膨大なコストのために、ベトナムで活動する日系企業は損失を被りました。現在、状況はかなり改善され、日系企業の62.7%は黒字を計上しています。ホーチミン市で活動する日系企業268社のうち60〜70%が成果をあげており、これらの企業が増資に前向きなことは当然だと言えるでしょう。さらに、投資環境が5〜7年前に比べて大幅に改善されたことも要因のひとつです。 Q: Nidec社は2億ドルを投資し、ホーチミン市に機器生産工場の建設を決定しました。このプロジェクトは市の投資誘致にどのように作用すると考えられますか? A: これは大規模なプロジェクトです。ホーチミン市はベトナム国内における真のハイテク都市となることを目指しており、Nidec社の判断は正しいと言えるでしょう。投資に際してNidec社は多くの優遇政策の恩恵を受けることが出来ました。数年前にはまだ投資に慎重だった日系企業が、現在ではホーチミン市への投資を積極的に行っています。例えば、Canonグループはハノイでの事業に1億ドルを増資し、Suzuki社はDong Nai省に国内で3つ目となる工場建設に着工しました。これは、ベトナムが魅力的な投資先と評価されつつあるという証明で、ホーチミン市のインフラは大きく改善されました。今後は優遇政策の強化に加えて一貫性が備われば、Nidec社のような大規模投資プロジェクト誘致に弾みがつくでしょう。 Q: 一部の日本の大手企業が中国やインドから撤退し日本国内で投資を行う一方、日本企業による投資の波は東南アジア諸国へ押し寄せています。どのような背景があるのでしょうか。 A: 事実、そうした動きはありますが、一部の企業が日本国内に戻っているに過ぎません。これは日本経済が回復し国内市場が好調なためです。さらに、日本のみならず中国やインドの人件費も高く、日本企業が東南アジア諸国に注目するのは自然の流れと言えます。中国に次ぐ投資先として日本企業はベトナム、特に好条件の揃ったホーチミン市を視野に入れるでしょう。 Q: 新規企業による投資よりも、既存企業の増資が活発です。中でもSuzuki社はDong Nai省、Vietnam Float Glass社はBa Ria−Vung Tau省、Canonグループはハノイと、国内のあらゆる省・市に工場を建設しています。ホーチミン市はどの点で他の地域よりも優れていると思われますか。 A: 多くの優れた要素があると考えます。投資状況の視察に日本企業が連日訪れており、高い評価を得ています。また、特にこれらの企業はハイテク分野での投資を重視しており、ホーチミン市は同分野の発展に最善の対応を約束しています。今後、インフラ整備費用など市の財政支援が投資促進の鍵となるでしょう。 ベトナム出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、東アジア・東南アジアのインドシナ半島東岸にある南北に長い国。北を中華人民共和国と、西をラオス、カンボジアと国境を接する。東は、南シナ海に面し、フィリピンと対する。 ベトナムの表記公式の英語表記は「Socialist Republic of Vietnam」、略称は「Vietnam」、または「SRV」。フランス語では「Republique socialiste du Viet Nam |」。 日本語表記は「ベトナム社会主義共和国」。通称は「ベトナム」、漢字は「越南」(えつなん)である。「ヴェトナム」や「ヴィエトナム」という表記も使われる。 ベトナムの歴史詳細はベトナムの歴史を参照 紀元前から北部ベトナムの紅河(ホンハー)流域一帯には東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が広がり、原始的な部族国家群を形成していた。これがいわゆる古越人(後のベト族)である。また中国・紹興一帯を支配した越の末裔が、民族のルーツとの説もある。 秦始皇帝以後、千年にわたって中国王朝の郡県支配を受け、中国文化の影響が深く浸透したが、完全に中国化することはなかった。一方中部ベトナムではオーストロネシア語族系統の古チャム人(後のチャム族)がインド化されたチャンパ王国を形成していた。唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後 越人の王朝「大越」が続く。大越は南のチャンパと抗争を繰り返したが、チャンパ領は14世紀に越都昇龍(タンロン)を2度攻略した制逢峨(チェーボンガー)の死後 内紛で割拠状態に陥り、1471年以降大越黎朝(1428-1788)及びその諸侯である広南阮氏がこれらを各個撃破して南進し、広南阮氏は更に17世紀にカンボジア領であったメコン川流域まで併合して今日のベトナム領土が完成した。 2世紀頃から8世紀頃まで 北部-漢、隋、唐 南部-不明 11世紀前後 北部-李朝大越国 南部-チャンパ王国 13世紀頃 北部-陳朝大越国 南部-チャンパ王国 現代ベトナムの出来事 1887年 フランス領インドシナの成立(フランスによる植民地化) 1940年 日本軍の北部仏印進駐 1941年 タイ王国とフランスが交戦。日本政府による仲裁。 1944年 凶作に加え、米軍の空襲による南北間輸送途絶や日本軍の要請を受けたインドシナ植民地政府による食糧徴発などが重なり北部(トンキン)を中心に200万人以上が餓死したとの説もある。 1945年3月 保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言 8月 ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命) 9月 ベトナム民主共和国樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代大統領に就任 1946年11月 ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突 1946年〜54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争) 1949年 フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認 1954年7月 ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ジン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする 1960年12月 南ベトナム解放民族戦線結成。 1962年2月 アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。 1964年 トンキン湾事件。以降、1973年まで米軍が戦争に直接介入。 1965年2月 アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入 1968年1月 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける 1969年1月 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる 6月 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府成立。ベトナム共和国と対峙。 1972年4月 アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開 1973年1月 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印 1975年4月 3月、北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結。[1][2] 1976年4月 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。 1978年12月 カンボジア侵攻を開始。(第三次インドシナ戦争の始まり。) 1979年 中国との戦争(中越戦争)、世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立 1986年12月 社会主義型市場経済を目指す、ドイモイ(刷新)政策を開始し、改革・開放路線に踏み出す 1989年9月 国内経済が疲弊したベトナムは、カンボジアから完全撤兵 1992年 越中関係正常化 1995年7月 クリントン・アメリカ大統領はベトナムとの外交関係樹立を発表、越米国交正常化 7月 東南アジア諸国連合(ASEAN)はベトナムの加盟(7番目の加盟国)を認める 10月 所有権や契約の考え方を盛り込んだ、初めての民法ができる 1996年1月 ASEAN自由貿易地域(AFTA)に参加する 1998年 アジア太平洋経済協力(APEC)参加 2003年 日越投資協定締結 2007年1月11日、世界貿易機構(WTO)に正式加盟した。150番目の加盟国となった。 2007年10月16日、国連総会で安全保障理事会の非常任理事国に初選出された。 ベトナムと日本との関係西暦734年遣唐使判官・平群広成が帰国の途上、難破して崑崙国に漂流し抑留された。フエ付近に都があったチャンパ王国と考えられる。広成はその後、中国に脱出し、渤海経由で帰国している。753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上、同じく漂流し、当時中国領だった安南のヴィン付近に漂着した。東シナ海から南シナ海に南下する海流の関係でこのような漂流ルートが存在したようだ。これが縁で阿倍仲麻呂は761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任した。 ホイアンの日本橋。この橋は鎖国前の交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ、今でも現地の人に大切に使われている。提灯にフェホォと書いてあるが、これは当時のこの町の呼称である。世界遺産。14世紀から15世紀にかけて交易国家として栄えた琉球王国はチャンパ王国とも通好があった。17世紀になると朱印船がベトナム方面へ進出し、江戸幕府は北ベトナムの大越黎朝や南ベトナムの広南阮氏政権とも外交文書を交換し、朱印船が出入りした。ホイアン(会安)には日本人町も形成されている。朱印船はまた南遷していたチャンパ(占城)でも唐船(中国船)と出会い貿易を行っている。 ベトナムの通貨の名称はドンだが、これはベトナムの主要通貨であった銅銭を意味する越語ドンティエンに由来する。日本の銅銭・寛永通宝はその材質の良さから、東アジアの基軸通貨の一つとして流通し、国際取引の決済に使われていた。 1940年に日本軍は北部仏印進駐を行い、1941年には南部にも進駐した。これは、フランスのヴィシー政権との外交協議によるものであり、太平洋戦争(大東亜戦争)中も、日本軍はインドシナ植民地政府と共存していた。その後、日本軍は1945年3月にクーデターでフランスの植民地政府・軍を取り潰し、ベトナムを名目的に独立(ベトナム帝国)させたが、間もなく敗戦となった。しかし、その結果生じた権力の空白はベトナム独立同盟に有利に作用した。また、戦前・戦中のインドシナ派遣軍の軍規の良さはベトナム国民に好印象を与えた一方で、駐留期間の大半においてフランスの同盟国軍として植民地政府に加担したことは、結局のところ日本もフランスと同類の帝国主義国に過ぎないという印象を与えることになった。 第二次世界大戦末期の1945年に、ベトナム北部で大量の餓死者が発生した。日本の一部のグループはその原因を日本軍による大量の食糧徴発とし、推計200万人に近いベトナム人の餓死者を出したと主張しているが、餓死者数については正確な人口統計がないため明確には把握できていない。ただし、ホー・チ・ミンが独立宣言の中でフランス/日本の二重支配によって200万人が餓死したと演説しており、ベトナム国内ではこの200万人という数字は広く知られている。また食糧不足の原因についても、元来北部紅河デルタ地帯は人口過剰の割に収穫の少ない食糧飢餓地域であり、常に南部メコンデルタ地帯から輸送される米により人口が維持されてきたものが、連合国による爆撃により海上ならびに鉄道による食糧輸送が壊滅状態に陥ったためとも言われている。また、日本への反感を高めるためにフランスがサボタージュしたとも言われているが、日本軍自身も明号作戦の発動など、対フランス関係の整理で手一杯で、ベトナム人の餓死に対して鈍感であったとも言われている。いずれにしろ、この件につき、日本に対しベトナム政府は外交問題として取り上げたことはない。より多くのベトナム人が、その後の第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争で亡くなっているためと考えられている。 戦後、フランスが再び進駐してくると、仏軍とベトナム民主共和国軍の間で戦争(第一次インドシナ戦争)が始まったが、仏越両軍に日本軍兵士が多数参加した。当時、ベトナムには766人の日本兵がとどまっており、1954年のジュネーヴ協定成立までに47人が戦病死した。なかには、陸軍士官学校を創設して、約200人のベトミン士官を養成した者もおり、1986年には8人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けた。なお、ジュネーヴ協定によって150人が日本へ帰国したが、その他はベトナムに留まり続けた模様である。 1951年に日本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年には岸信介首相(当時)がベトナム共和国政府と140億4000万円の戦争賠償支払いで合意した。一方、ベトナム民主共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保したが、1973年に外交関係が樹立するまで日本と北ベトナムは国交のない状況が続いた。 近年、日本企業のベトナム進出が相次いでいるが、その要因として中国の半分から3分の1ともいわれる賃金、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の推進に伴ってASEAN域内への輸出拡大が見込める点、さらには中国一極集中のリスクの回避などが挙げられる。 現在、両国の関係は「緩やかな同盟関係」と評されている。ファン・ヴァン・カイ前首相は親日・知日家で知られており、また、日本政府や経団連も積極的に経済援助を行っている。一方、グエン・タン・ズン新首相は親中派で日本に対する関心が低いと一部報道で伝えられており、今後の両国の関係を懸念する向きもある。 日本共産党と全教は1993年よりフエ市でストリートチルドレンの保育・教育施設「ベトナムの子どもの家」(小山道夫氏、日教組分裂 1991.3.6 以前の都教組委員長 主宰)を運営している。小山氏自身は共産党員であるが、旧社会党系(現 民主党及び社民党)の活動家・政治家と親しく、1994.6.30〜1997.11.7 の自社連立政権下においてはフエ省知事顧問として複数の日本ODA事業をフエに導入することに成功し、地元の信頼を勝ち得た。小山氏を支援する「ベトナムの子どもの家を支える会」の活動も盛んであり、民主青年同盟(民青)、革新自治体の青年・学生組織及びピースボートと交流を行っている。 2007年2月27日にはベトナムを南北に縦貫する高速鉄道の建設に向けて両国間で共同委員会が設けられた。委員会には日本から国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)、日本貿易振興機構(JETRO)が、ベトナムからは計画投資省、運輸省、ベトナム国鉄が参加した。 ベトナムの政治政治はベトナム共産党(ベトナム戦争中は「ベトナム労働党」)による事実上の一党独裁政治が行なわれている。名目的に存在した民主党、社会党は80年代末に解散され、複数政党制から単独政党制に移行した。現在でも、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。党書記長(党総秘書)、国家主席、政府首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の共産党中央執行班書記長はノン・ドゥク・マイン、国家元首はグエン・ミン・チェットであり、政府首相はグエン・タン・ズン。 建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行っており、故ホー・チ・ミン主席も独裁的な権力を有したことはなく、ベトナム戦争中の一時期には失脚に近い状態にあったとも言われている。 政府の運営は、極めて官僚的であり、中国に類似している。 ベトナムの国会は、2006年6月27日、チャン・ドゥク・ルオン国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(党ホーチミン市委員会委員長、「城委秘書」)を選出した。また、国会は引退するファン・ヴァン・カイ首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。ダオ・ディン・ビン交通運輸相は同省傘下の疑獄事件で指導責任を問われ、事実上更迭された。 国外には旧ベトナム共和国(越南共和、南ベトナム政府、1955-1975)の政府関係者を中心とした反共産党政府組織が幾つか存在しており、特にアメリカを根拠地とする「自由ベトナム政府」は、2000年前後に,ベトナム政府の主張によれば、ベトナム国内外でテロ活動を実施(或いは実施未遂)したと言われている。しかし、これらの反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムに対し自治を求めて戦った中部高原諸民族及びチャム族の抵抗組織フルロ(FULRO)関係者はこれらの組織とは対立関係にあり、各組織の力を一つに集めることができるリーダーシップを有した指導者が存在しない。また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち、世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。 ベトナムの国会定員500名 任期5年 ベトナム共産党 450名 独立系(非共産党員かつ共産党の推薦を受けない者) 1名 欠員 7名 投票率:99.64%(2007年)(2007年5月29日現在) ベトナムの軍事ベトナム人民軍は1944年12月22日に建軍された。徴兵制を採用しており、18-27歳の男子に原則として2年の兵役義務がある。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式による全国民国防体制を採用する。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。中越戦争時には正規軍だけで170万人の兵力を有していたが、48万4000人まで削減された。陸軍41万2000人、海軍4万2000人、防空・空軍3万人である。このほか、予備役と民兵が300-400万人。予備役将校の職業はさまざまで、高級官僚や大学教授も少なくない。国防予算は推定約32億米ドルである。 防衛大学校に留学生を派遣している。 ベトナムの地方行政区画ベトナムの地方行政区分詳細はベトナムの地方行政区画を参照 2003年11月の改正により、59省と、5の中央直轄市となった。中央直轄市は、ハノイ(河内)、ホーチミン(胡志明市)、ダナン(沱?)、ハイフォン(海防)、カントー(芹苴)。もっとも北に位置する省は、ハーザン省(Ha Giang, 河江)、もっとも南は、カマウ省(Ca Mau)である。 ベトナムの主な都市最大の都市は、南部のホーチミン(人口486万人、2003年)、次いで北部の首都ハノイ(183万4000人)、ハイフォン(64万6000人)、ダナン(59万1000人)、ビエンホア(40万7000人)である。人口10万人以上の都市は2003年時点で29都市存在した。 ハノイ(河内) ホーチミン(胡志明市) ホーチミン市第1郡:旧サイゴン(柴棍、西貢) ホーチミン市第5郡:旧チョロン(堤岸) ホーチミン市クチ県:クチ(古芝) ダナン(沱?) ハイフォン(海防) ヴィン(栄市) フエ(順化) カントー(芹苴) ホイアン(會安) ニャチャン(芽莊) ミトー(美萩) タイニン(西寧) ヴィンロン(永隆) ダーラット(多洛) ベトナムの地理ベトナムの国土ベトナムの国土は南北1,650km、東西600kmに広がる。インドシナ半島の太平洋岸に平行して南北に伸びるチュオンソン山脈(アンナン山脈)の東側に国土の大半が属するため、東西の幅は最も狭い部分でわずか50kmしかない。細長いS字に似た国土の形状を、ベトナムでは米かごを吊るす天秤棒に例えている。天秤棒の両端には大規模なデルタが広がり、人口の7割が集中する。北のデルタは、紅河(ソンコイ川)によるもので、首都ハノイのほか港湾都市ハイフォンが位置する。南のデルタはメコン川によるもので、最大の都市ホーチミンを擁する。 沿岸の総延長距離は3,260km、北部国境(中国国境)の長さは1,150km、国境の総延長距離は、6,127kmである。 沿岸には北部を除き、島嶼がほとんど存在しない。本土から離れた領土としてホーチミンから約600kmの東、南シナ海に浮かぶチュオンサ群島(スプラトリー諸島、南沙諸島)と、ダナンの約400km東のホアンサ群島(パラセル諸島、西沙諸島)の領有権を主張している。チュオンサ群島は一部を実効支配し、ホアンサ群島は全体が中国の実効支配下にある。ベトナム最大の島は、最西端の領土となるシャム湾に浮かぶフークォック島である。 主要な河川は紅河(支流であるカウ川、ロー川、ダーツ川)、ダンホアに河口をもつカー川、中部のバー川、南部のドンナイ川、メコン川である。天然の湖沼はデルタに残る三日月湖がほとんどである。最高峰は北部国境に近いファンシーパン山(3,143m)。アンナン山脈中の最高峰は中部のフエやダナンに近いアトゥアト山(2,500m)である。 ベトナムの気候ベトナム全土は北回帰線よりも南に位置し、赤道近くまで伸びる(本土の最南端は北緯8度33分)。このため南西モンスーンの影響を強く受ける。7月から11月まで台風の影響を受け、特に国土の中央部が被害を受けやすい。 北部は温帯性の気候であり、4月から10月までが雨期となる。首都ハノイの平均気温は1月が16度、7月が29度である。年平均降水量は1,704mm。チュオンソン山脈の影響により、山岳地帯では降水量が4,000mmを超える場所もある。ケッペンの気候区分では、温帯夏雨気候(Cw)に分類されている。 南部は熱帯性気候下にある(ケッペンによる気候区分はサバナ気候=Aw)。平均気温は1月が18度、7月が33度だが、平均降水量は1,000mmと少ない。 北部には紅河、黒河(ダー川)、南部には九龍江(メコン川)が広がる。 ベトナムの経済1986年12月のベトナム共産党第6回大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国と同様に改革・開放路線へと転換した。1996年のベトナム共産党第8回大会では、2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択した。 政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。アジア通貨危機で一時失速した国内総生産(GDP)の成長率も、2001年は6.8%、02年7.0%、03年7.2%、04年7.7%と安定成長が続いている。中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として近年、注目されている。こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっていたが、2007年1月、ようやくWTOに加盟した。 労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。 主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国。 ベトナムの農業コーヒーは、現在ではブラジルに次ぎ、世界第2の生産量(99万トン、2003年)に達している。大部分が、インスタントコーヒー、缶やペットボトル入りの清涼飲料、製菓用抔で使われる安価なロブスタ種(カネフォラ種)であるが、レギュラーコーヒーに使われる高級品のアラビカ種の栽培も始まっている。 ベトナムの鉱業ベトナムは石炭・石油を中心とした有機鉱物資源、スズを中心とした金属鉱物資源に恵まれている。北部ハロン(ホンゲイ)から産出する石炭は上質の無煙炭であり、19世紀末からホンゲイ炭として採掘が始まっている。2003年時点の採掘量は1670万トン。ベトナムは産油国でもあり、1660万トンの原油を産出する。輸出品目の第一位は石油であり、2002年時点では全輸出額の19.6%を占めた。天然ガスの採取量は126千兆ジュール。 金属鉱物資源は、北部デルタ周囲の丘陵地帯に主に産する。もっとも重要なのが世界第4位のスズ(4000トン、世界シェア1.5%、2005年)。亜鉛、金、クロム、鉄、鉛のほか、リン鉱石を産出する。 ベトナムの民族構成住民はベト人(越人、京人)が85%から90%、その他にホア族(華人)3%、タイ人(ターイ族、タイー族)、クメール人(クメール族)、ムオン族、メア族、モン族(ミャオ族)、ザオ族、チャム族などの53の少数民族がいる。 ベトナムの言語言語はベトナム語(越語)が公用語である。その他、華語、クメール語なども使われている。 ベトナムの宗教宗教は仏教(主に大乗仏教)が大半を占めている。その他、道教、ローマ・カトリックなどがある。また南部にはホアハオ教や、混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っている。 ベトナムの文化ベトナムの世界遺産 ベトナム国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が2件ある。詳細は、ベトナムの世界遺産を参照。 ベトナムの祝祭日日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 正月 旧暦12月31日〜1月3日 旧正月 旧暦3月10日 フンヴオン(雄王、紀元前にベトナム北部を初めて統一したとされる王家)を祭る日 2007年は4月26日 4月30日 南部解放記念日 サイゴン陥落(1975年) 5月1日 国際労働日 9月2日 建国記念日 独立宣言(1945年) |
ベトナムをはじめ、アジア旅行が好きな俺は、最近流行っているベトナム未公開株ファンド詐欺とかアジア投資詐欺とかで詐欺師達がベトナムやアジアのイメージを悪くするのが許せない為、ベトナム未公開株ファンドが儲かりますとかいう詐欺師を糾弾してゆきます。
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カレンダ
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